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夕暮れの流星群
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三島由紀夫、18歳のまなざし 学友への手紙見つかる
 作家の三島由紀夫が1943年、18歳の時に書いた未公開の手紙が、受け取った学友の遺族宅に保管されていた。戦時下の文学について考えを伝えるとともに、連合艦隊の山本五十六司令長官の戦死にも触れている。三島が割腹自決して40年。青年時代の三島の手紙からは、戦争の時代を独自の視点で見つめようとする若々しい感性がうかがえる、と文芸評論家らは言う。

 保管していたのは、文芸春秋の元編集者、東眞史(あずま・まふみ)さん。東さんの兄、故・文彦さんは学習院高等科の三島の先輩に当たり、ともに文学の道を志して「赤絵」という同人誌を出していた。

 手紙は43年6月5日の日付。その年に出版された国文学者、蓮田善明の「本居宣長」への感想をつづり、「詩美の点では保田与(與)重郎(やすだ・よじゅうろう)氏、純粋さの点では清水文雄氏に劣るやうです。しかし学問の点では保田氏などより確かでせう」。いずれも当時の文学者や評論家。蓮田は敗戦時に自決し、三島の思想形成に影響を与えたといわれるが、作品を見る目は冷静だ。

 同年5月、山本五十六が戦死したことが発表された。当時の新聞紙上には著名な文学者たちが追悼文や詩歌などを寄せたが、「山本元帥の戦死には襟を正しましたが、あらはれる感想文にはなかなかよいものがあつて逸話なども(中略)近代の神話に発展してゆく過程を考えると美しうございましたが、詩歌はあまり振るはぬやうでした」。国運を揺るがす事態さえ文学の観点からみようとする姿勢が表れている。

 病床にあった文彦さんはその年の10月に亡くなる。三島の協力もあり、71年に「東文彦作品集」が出版され、自身が「序」を書いた。その日付は自決の1カ月前だった。

 3年近くにわたり、三島が文彦さんに送り続けた手紙の多くは「十代書簡集」として公表されているが、今回見つかったものはそれには含まれていなかった。



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病気さえしなかったらそれで幸せなんですよね、本当は。
年をおっていく度におろかになってくるような気がしますね。。。

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